思い出-5
 
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趣味の中断のはなし

さて、今回は30年近く前、鉄道模型の趣味の中断の頃のはなしです。
 なぜ鉄道模型を中断したかのいわば懺悔みたいなものです。

 記憶の通りなら私がこの趣味を中断したのは昭和57年の半ばくらいだったと思います。

 それまでは曲がりなりにもモジュールもどきを作ったり、書棚の一段にホームと線路、若干の建物を配置してセクションもどきにしたりとそこそこ楽しんでいた訳です。

 ところがこの前後に私の嗜好に大きな転換点が訪れます。
 当時やっと普及し始めていたビデオデッキとAV(オーディオビジュアル)の台頭、それに伴う映画ソフトの大量リリースとエアチェックが入りこんできた事です。
 当時はデッキも高かったのですが何と言っても生テープがかなり私個人の家計を圧迫していました。
 なにしろ当時はBetaのL500が一本2千5百円(これで二時間しか録れません)VHSは更にそれより割高でしたから月に2・3本も買ったらそれだけで鉄道模型に回す予算がなくなる訳です。

 これはAVの新フォーマット登場時によくある現象です。出たての時はDVD−RAMも一枚3000円位でしたし、最近ではブルーレイの生ディスクも最初はそれ位でした。
 しかしそれでも当時は一度観たらそれっきりだったTVや映画を自分の手元に保存できるという魅力は他の何物にも代えがたい魅力でした。
 何しろあの頃は小遣いをためてVHSデッキ(これも当時は普及機で一五万前後)を購入するのに3年かけていましたから(笑)ますます鉄道模型どころではなくなる訳です。

 この他の要因としてはこの直後に故郷から現住地に引っ越し木造ふた間の貸家住まいとなった為鉄道模型どころではなくなったという事もありました。
 確かにビデオデッキなら精々40センチ四方のスペースしか取りませんし、複数台買っても重ねて置けます。
 (実家のデッキがBetaでスタートしていた為VHSの買い増し、現住地でのデッキの複数整備が必須でした。思えばこういうスタートを切っていた事がAVの泥沼にはまるきっかけだったのかもしれません)
 現住地に引っ越してさらに有難かったのはビデオがあれば故郷の番組もテープのやり取りでいながらにして観られる事です。



 まして現住地は当時の故郷の2倍以上のチャンネル数でしたから録りたい番組も加速度的に増えたわけです。

 ですがもし当時の鉄道模型が魅力的だったならどんな事をしてでも続けていたのではないかと思います。
 つまりあの頃は私にとっての鉄道模型の魅力が最も薄れていた時期とも言えます。

 どういう事かと言うと先ず当時のNゲージの「走りの質感の低さ」に辟易した事、車両偏重のリリースが続きレイアウト用品の新機軸や製品が激減した事、そして何よりこういう時に鉄道模型の魅力をアピールするべき専門誌がスノッブ的なセクショナリズムに陥り急速に魅力をなくしてしまった事があったと思います。
 あの頃のNは今と比べ物にならないくらいスローが苦手でしたし、ユニトラックが登場しかけていた時期だったとはいえ駅周辺施設以外の建物はあまりにも少なすぎました。
 それと一部の書籍で当時のNゲージャーやビギナーを見下すような16番系の記述が目立ってきていた事も辟易の一因といえます。



 言い換えるなら私が趣味の再開を果たしたのは以上の三つが曲がりなりにもクリアになってきた事が多かったと言えます。
 
 それでも中断期間中20年にもわたってTMSの購読だけは止めなかったのはまだ私の心のどこかに「いつかはきっと」と言う思いが残っていたからだろうと思えます。
 それとこの期間まったく鉄道模型と縁を切っていた訳ではなく間接的にですがその魅力の分析をやっていた期間がありました。

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