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理想の大レイアウトに思うこと・2・俯瞰の魅力
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 これまで「大レイアウトの魅力とは何だろうか」について線路のカーブの曲率の観点から書いてきましたが、今回からはシーナリィの方向から考察してみたいと思います。
 製作記と違って予断や不消化の所もあると思いますが、今回もご勘弁を。

 まずは前振りから。

 先日の帰省の折に実家の本棚から見つけ出した「社会科の図鑑」
 そこの見開きページに掲載されていた「町と村」のパノラマ画に40年ぶりくらいに再会しました。

 このパノラマは社会の図鑑らしく「村と町の繋がり・産業の中での物や人の流れ」が一目でわかる様なパノラマ形式となっていて子ども心にも楽しく眺めていた記憶があります。



 海外の博物館や高輪の物流博物館のレイアウトなどは「鉄道によって運ばれる物や人の流れを視覚化する」コンセプトのものがありますがそれに近い感じといえばいいでしょうか。

 最近青空文庫で読んだ幸田露伴の「観画談」でも山寺の中の屏風に描かれた町や村のパノラマ画に主人公が感銘しそれをきっかけに人生そのものを変えてしまう下りがありますが、そこまでは行かないまでもパノラマ画と言うのは人の心をとらえる何かがあると思います。

 これまでレイアウトやジオラマをリアルに見せる方法のひとつとして「人と同じ視線で見る」と言うのがありました。確かに小レイアウトやパイク・ヴィネットであればローアングルの視点は有効ですし、特に屋外撮影の時には絶大な威力を発揮していると思います。

 しかしこれはあくまで「小さな風景・切り取られた風景の一片のみを少しでもリアルに見るための方便」であり、ある程度以上の規模のジオラマやレイアウトでは通用しない見方ではないかと最近思えて来ました。
 大きな風景ほど俯瞰で見ないとその凄さ・魅力は伝わりにくいと思います。

 理想の大レイアウトの条件をシーナリィの側から考えると「俯瞰が魅力的であること」というのも考えられると思えます。

 では魅力的な俯瞰とは何でしょうか。

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 子供時代、山の中に住んでいた余録で通学路では必ず街の俯瞰を毎日眺める生活でした。
 又、実家の田舎の家は近くを通る幹線を通過する列車を盆地を挟んでパノラマで眺める事のできる環境でした。

 今にして思えばその環境は後になってレイアウトをイメージする上で少なからぬ影響とインスピレーションを与えてくれていた様に思います。

 以来旅行や帰省では俯瞰で街の全体を眺めるのが楽しみの一つとなっています。
 何とかと煙は高い所が好きと言いますし(笑)

 さて、そんな経験も交えて理想の俯瞰というものを考えてみたいのですが。

 
 ひとつには地形の要素があるでしょう。おもに川の曲がり・山の起伏によって形作られた自然の地形がレイアウト上に再現できればそれだけでかなり雄大なイメージを与える事が出来ると思います。

 そしてもうひとつ、街並みの要素。
 単なる家やビルの羅列では魅力的な俯瞰が出来るとは思えません。
 俯瞰で眺めただけでその街の性格が見えてくるような眺めが必要ではないでしょうか。
 都市一つとってもそのなりたちが城下町か門前町か宿場町かで見え方が違うでしょうし、商業都市か工業都市か、あるいはベッドタウンかでも違った風景になる筈です。



 そして重要なのがそれらの「連続性」ではないでしょうか。
 レイアウトが単なる風景の一点だけをモデル化するのではなく「隣町はどうなっているのか」「どちらが東京(或いは大阪)なのか」「どちらに海があるのか」が明確である事(島国の日本の風景をモデル化するならこれは避けて通れない条件です)は鉄道そのもののモデル化であるレイアウト、それもある程度以上の規模の物では必須の条件と言えます。

 これらのモチーフが具体的であれば作り手の主張が見える俯瞰が作れるのではないかと考えます。

 以前CSで観たアメリカのテレビ番組の「世界の鉄道・旅と模型(TRUCK AHEAD)」に紹介されている海外の著名な大レイアウトはどれもこれも鉄道と産業の繋がり・鉄道と周囲の地勢の繋がりが視覚的に表現されている物が多く、流石に彼の地はセンスといい見せ場の作り方といい一日の長があると感心しきりでした。

 今の日本のレイアウトはその点でいまだ揺籃期と言いますか、一部のトップレイアウトを除けばヴィネット的な切り取られた風景の羅列に終始しているレベルの物が多く、レイアウトの外側を意識出来ない幕の内弁当みたいな雰囲気を感じる事が多いと感じます。

 一言でいえば「ローアングルではそれらしく見えても俯瞰では散漫なイメージしか見えない」物が多い。それはレンタルレイアウトでも一部を除けば同じ印象です。

 流石にこればかりはモデルを作って実験するという訳にはいきません(笑)が心に留めておきたい考えではあります。

2−3
 趣味の中断中に読んでいた伊藤俊治の「ジオラマ論」
 19世紀から20世紀にかけて写真・交通機関の急速な発達に伴う人間の知覚イメージの変容を主にヴィジュアルの側面から考察した本で、その中で仮想現実としてのジオラマ(模型に限らずパノラマ画・立体写真・ジャンルの俯瞰としての図鑑・SFX技法等も含めたイメージ)の構築と効果の章に多くのボリュームを割いています。

 それまでも読んでいましたが、特にレイアウトを作り始めた頃から折に触れて読み返す事の多い本です。

 さて、その本の冒頭、気球に乗って世界最初の航空写真を撮影したナダールが初めて見下ろすパノラミックな俯瞰像のパリの街並みに感動した印象が書かれています。

 一部を引用させていただくと「(前略)この上空から見る縮小された世界では境界線がくっきりと浮かび上がり、その鮮明さに魅了される。余計な物は目に入ることなく、すべての醜悪さから逃れるには距離を置くに限る」

 この感覚は大レイアウトを見下ろす時にも当てはまるのではないかと思います。

 そして、この本の中で狭義のジオラマの定義は「剥製やミニチュアを組み合わせて作り上げる実物そっくりの擬似環境装置」と捉えられています。

 したがって大レイアウトの効能の最たるものはこの「擬似環境を楽しませる」事にあるのではないでしょうか。
 小さなレイアウトでは「視界いっぱいに広がるパノラマ感」の迫力はかなり近接して見たとしても大レイアウトほどには再現できないと思います(その理由については近い内に触れたいと思います)

 その点で「魅力的な俯瞰」の持つ意味は大きいと考えます。

 余談ですが、模型雑誌で呼称されるミリタリーやアニメプラモの「ジオラマ」の大半はむしろ広大な空間の一場面のみを切り取ったという意味で「パイク」「ヴィネット(意味は「背景が風景となった肖像画」だそうです)」に近いものともいえると思います。この違いを例えるなら「庭園」と「盆栽」の違いに近いかもしれません。

 ただ、この点を意識して作られた大レイアウトはジオラマの本場であるドイツをはじめとした海外ではともかく日本では博物館を含めてあまりない様に思います(単にでかいだけのレイアウトならばいくつもありますが)

2−4
 大レイアウトの考察。今回は少し視点を変えます。

 ギャラリーの立場で大レイアウトを見る時どういう視点だと楽しいか。
 レイアウトの俯瞰の魅力については以前触れましたが、一般に大レイアウトの場合、ベースの外側から見下ろすと言う視点が一般的かと思います。
 だからこそ風景に俯瞰の魅力が必要と思えるのですが。

 

 最近よく話題にする原信太郎氏のシャングリラ鉄道は面白い拝観形式を取っています。

 この本にも概要が掲載されていますが、恐らく個人所有のレイアウトとしては最大級の広さと思います。
 レイアウトの上を横断するようにブリッジ状の部屋を組み、そこの窓から見下ろすと言う物です。
 こうすればターミナル駅の列車の行き来を交差する路線の列車の窓から眺めるという視点になります。
 実際部屋のインテリアも、食堂車を模した雰囲気満点な物でした。

 これはラージスケールの車両を運行する大レイアウトだから実現可能な形式とは言えます。
 Nや16番でこれをやったらヘリコプターか旅客機の視点(それも固定した)となってしまうのが落ちでしょう。


 ですが列車ではなく「タワーの展望台」なら?

 私の故郷の裏山なんかですと展望台があって有料の望遠鏡で風景のアップを眺められる様になっています。
 「鉄道」に拘る限りはこれは邪道ですが、これと同じものなら少しの手間で実現可能な気もします。

 今思ったのですがある程度以上に大きいレンタルレイアウトもこういう形式だとギャラリーも結構楽しめそうな気もします。
 但し、余り見下ろし過ぎる視点では却って興ざめです。その意味ではレイアウトの真上というのはあまり面白くない気もします。
 


 ショッピングセンターでの運転会で時々吹き抜けの広場で行うことがあるのですが、あれも俯角が付き過ぎてあまり面白いものではありませんでしたし。

 精々これくらいの俯角がリアルに見えるぎりぎりの線かもしれません。

2−5


 2012年夏の事ですが、特撮博物館でミニチュアセットを見た後にJAMのレイアウトも見て回れるというある意味非常に贅沢な(笑)ツアーを楽しませてもらったのですが、そこで感じた事から。

 JAMでは会場が東京ビッグサイトと言う事で非常に広く、且つ天井の高い会場でのレイアウト展示を見る事が出来ました。

 どのモジュール・レイアウトも非常な力作で現代日本のレイアウトの清華ともいえる作品群が見られたのですがそれらを見ている内にある種の物足りなさを感じたのです。


 最初はそれが何故かよくわからなかったのですがモジュールの写真を何枚かあおりのアングルで撮影して分かりました。
 (ある意味当たり前なのですが)普通の風景写真では必ず見られる「空」がないのです。

 風景のモデル化であるレイアウトやモジュールである以上は空もその一部として非常に大きな役割を果たしているのですが会場の性質上それがなかった事が物足りなさの大きな理由のひとつと思えました。

 この点特撮博物館では島倉不千六氏と言う「日本一の雲描き職人」の手になる非常に精緻かつ優雅さすら感じる背景画がミニチュアに使われており非常に大きな効果を上げていたのとは対照的です。
 島倉氏については以前触れた事があると思いますが特撮だけではなく舞台劇の背景などでも非常に印象的な空を(本物よりもそれらしい)描かれている方でもあります。

 
 これまでレイアウトやモジュールに置いて背景の効果は個々のディテーリングに比べてあまり大きく扱われていなかった気がします。それはKATOやトミーテックといった大手メーカーですらきちんとした背景画、特に雲の描写に優れた物がひとつも商品化されていない事でも分かります。

 
 自分自身、海外メーカーの背景画をレイアウトに使ってみてその効果を認識した位なので大きな事は言えませんが天井まで届くような大きな背景画をセットできればレイアウトやモジュールはもとより買ったばかりの車両なんかもあおりのアングルをフルに使った魅力的な物になるのではと思います。

 こう書くと「そんなものどこに貼るんだ」と言われそうですが、自室の壁面のどれか一方に「青空だけ」の背景があるだけでもかなり効果が出せると思いますし、背景画自体は薄い物ですからプラダンなんかに貼り付けて使わない時はしまいこむ(レイアウト自体よりもはるかに場所を取りません)手もあります。

 
 写真を印刷して背景に使うのも手ですが、雲や空の青さがユーザーの期待通りになる事が難しいという難点があります(ある映画で監督がロケ中に気に入った空になるまで何日も待ったと言う逸話を聞いた事がありますが)
 「写真が画にかなわない」という事もこと背景画に関してはありうる気がします。

 ですがJAMのイベントを見て思った事のひとつ。
 「一度でいいから壁面いっぱいに島倉氏の雲の背景を使った所が見たい」なんて夢想をしたのも事実です。
 それ位のホリゾントがあれば会場中のレイアウトの生き生き度がかなり変わるのではないかと(笑)

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