河童の語る舞台うらおもて
実物の風景を無批判にジオラマ化した物が理想の大レイアウトになりうるか。
この点を考える時に思い出される本があります。
かつて「少年H」でベストセラーを飛ばした妹尾河童の著書のひとつ「河童の語る舞台うらおもて」です。
妹尾氏は本来舞台芸術家・舞台監督ですから、視覚効果を優先した舞台セットの構築(リアリティと演出効果の両立・視覚的演出の重要性)を熟知している訳で本書では最高の効果を上げる舞台セットの構築が分かりやすく、かつ深く語られています。
舞台の上ではセットそのものの魅力だけではなく、空間の圧縮・空気感の表現・照明の効果を総合的に駆使し「本物以上に本物らしく見える」「それでいて役者の魅力・演技をも同時に引き立てる」点でレイアウトに通じる物があると思います。
何故ならレイアウトとは「列車」という役者が「風景」という檜舞台の上を「演出された走り」をもってオーナーや観客を魅了する物といえるからです。
その為には実物の法則・文法を無視してでも効果を最優先した演出の重要さがいくつもの例をあげて述べられています。
それらが文章だけではなくイラストレーターとしても一流の妹尾氏の挿絵でも表現されているのでこれを見ているだけでも楽しめます。
こうした演出は本書では主に「けれん」という表現で書かれています。
但し誤解のない様に書き加えるならそれらの「演出」はあくまで作品を効果的に演出する範囲の中でのみ意味をもつという事を強調しておくべきでしょう。
こけおどしの演出だけが優先して作品世界まで破綻させたら元も子もありません。
個人的な感想ですがもし妹尾氏がレイアウトを手掛けるならばかなりパノラミック、且つ列車が生き生きと走りまわる(時には観る物をドキリとさせる舞台転換や舞台崩しを取り交ぜた)物が出来るのではないでしょうか。
「列車の走る舞台」として演出効果まで考慮したレイアウトを意識的に製作した作例はこれまた日本ではまだ少ないと思えます。また、それがあったとしても実物至上主義のマニアから許し難い存在として無視・排斥される可能性も高いと思います。
実はこの点にも実物至上主義の純粋主義者の陥りやすい陥穽があります。
この種の人々は「実物そのまま=カッコイイ」という単純な思考からなかなか外に出ないゆえに実物特有の「不潔さ」「煩雑さ」を無視するか認められない事が多く、結局理屈地獄の泥沼から抜け出せなくなります。
SNSや一部のブログ等のコメントを見ると瑣末な実物の(それも外見上の)相違点を針小棒大に突き回すケースが多い気がします。
(ですが、その一方で最近のジオラマにはリアリティを逆手にとって意外性のある演出を加えて効果を上げているケースが少しづつではありますが増えてきているのに心強さを感じてもいます。本来なら具体的な作例を挙げたいところですが色々な関係もあって難しいですね)
海外のレイアウトではこの点、実に魅力的な風景作りがなされているのですが実物の完全な引き写しというのは(博物館も含めて)少数派です。
実物をモチーフにしつつも「作り手の頭の中にある風景の具象化」に軸足を置いている雰囲気を強く感じます。
これはレイアウトそのものに対する日本と海外の捉え方の違いもあると思われますが今の段階ではよくわかりません。
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